<美しい絵画〜心をいやす美と安らぎの広場>
        
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美術評論家・動く美術館長
川島 博による
≪第6回≫
【工 芸】 「船橋蒔絵硯箱」 本阿弥 光悦
  光悦は桃山の末期より江戸時代の初期にかけて、個性味に満ちた能書をもって、近衛信尹(このえ のぶただ)、松花堂昭乗(しょうかどう しょうじょう)と共に、寛永の三筆とも云われた琳派の巨匠であり、光悦の書画、漆芸、陶芸は近世初期における日本美術史に顕著な足跡を残している。

 本作品、「船橋蒔絵硯箱」=木製漆塗=(国宝)は、中世の歌絵に用いられていた流水や木の幹、そして枝等に歌文字を判じ絵風に隠した技法に対して、装飾性の中に豊かな量感をたたえながら、美麗な散らし書き風の書体をもって制作されている。

 この硯箱には古典の歌絵の流れを巧みに消化した光悦が朝鮮で用いられていた貝の取り入れ技法をも吸収しながら、金、銀、錫、鉛などを使っての文人作家に相応しい洗練されたモダンさと鋭い感性を加味した、新鮮にして見事な調和の美しさが光っている。

 光悦様式と云われる中々に瀟洒で味わい一入な肥痩、太細の書体を基調に、華麗優美に知的展開をもって表現された此の器の意匠や形態、そしてまた加飾法に、光悦の卓越した個性が脈々と息づいているのであり、併せて燦然と今に伝わる光悦芸術の非凡さも確認できるのである。正に日本漆工芸史上に於ける希有の逸品とも云えよう。

 日本美術界に香り高き貴重な独自の芸術の世界を確立した此の嶄然たる芸術家「本阿弥光悦」は、1637年、寛永14年の2月3日に79歳をもって逝去された。
【補足】※蒔絵=漆を接着剤として金箔、金粉、銀粉、螺鈿(貝殻の裏の真珠質部分)
などを蒔きつけて模様を作っていく日本古来の工芸技法。
 書家・工芸家・画家。安土桃山時代から江戸初期に活躍。京都に生まれ刀剣の鑑定、研磨を本業としたが、書画、漆芸、製陶に優れた。また、茶道にも通じ、茶道具にも秀作を残している。書では、「寛永の三筆」の一人とされ光悦流の祖であるが、俵屋宗達、尾形光琳と共に琳派の創始者として、日本の美術に後世まで大きな影響を与えた。(1585〜1637)

◇本頁の解説は美術公論社刊 「美術名鑑」 より抜粋させていただきました。