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美術評論家・動く美術館長 |
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川島 博による |
≪第5回≫ |
【洋画】 「ストレーザ・ボメロ」 梅原 龍三郎 |
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作品『ストレーザ・ボメロ』は1958年、北イタリアのストレーザやヴェネチアに作者が旅した時のデトランプ絵画である。瑞々しい生命感、歯切れの良いタッチと彩色対比をもって、北伊の強烈な美が日本的共感を持たせながら描写されている。
1903年に京都府立二中を中退し、伊藤快彦の画塾に入るが三年後に創立の浅井忠聖護院洋画研究所に移り研鑽。のち五年を経て、パリのアカデミー・ジュリアンに入学。翌年、南仏カーニュのアトリエにてルノワールと出会い、以来同氏に師事。1913年に白樺社主催展で発表した「黄金の首飾り」にも師の影響を見る事ができる。
この初個展の翌年、二科会の創立に参画したが四年で退会。1922年には春陽会創立に加わるも程なくして岸田劉生等と共にこれも退会。三年後に改めて国画会を創立する等、当時から既に画人として創作活動にかける、燃え滾る多感な情熱に満ち満ちていた事を、この変遷からも窺う事ができよう。
また1935年に帝国美術院会員となり、1944年に帝室技芸院会員及び東京美術学校教授に就任し、1952年には文化勲章を受章したが、同年教授を辞任。1957年には芸術院会員をも辞任する等、中々変化に富んだ人生でもあった。
氏は本来の油彩と共に岩絵具にも精通し、琳派や浮世絵、南画にも深い関心を寄せながら、現代に活きる優れた感性と豊かな情感、そして迸る情念を強靭な個性に裏打ちさせた「梅原芸術」として、幅広い独自の豪華流麗な世界を確立した偉大な芸術家であり、大正・昭和にわたる日本洋画界最高の巨匠の一人である。また中国にも幾度か訪れ「紫禁城」、「北京秋天」という代表作も生んでいる。
【補足】※デトランプ=水彩の一種で膠(にかわ)と顔料による絵具。 |
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洋画家。文化勲章・芸術院会員・国画会名誉会員・帝室技芸員などを務めた。浅井忠・ルノワールに師事。豪放華麗な作風をもって安井曽太郎とともに日本洋画壇の双璧として頂点を極めた巨匠時代最後の洋画家であった。京都出身。昭和61年(1986)没97歳。 |
◇本頁の解説は美術公論社刊 「美術名鑑」 より抜粋させていただきました。 |
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