<美しい絵画〜心をいやす美と安らぎの広場>
        
動く美術館

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美術評論家・動く美術館長
川島 博による
≪第4回≫
【工芸】  「雲錦大鉢」  北大路 魯山人
  魯山人は1883年、京都上賀茂神社に生まれる。21歳で早くも日本美術展覧会に「千字文」の書を出品、その意欲作が一等賞を受賞する結果となった。その受賞が書に没入し研鑽するきっかけとなり、後日、一級の書家、篆刻家と云われる高技を生む背景となったのである。
 又、料理道にも異常な迄の関心を示し、東京赤坂山王台に星岡茶寮を開き、自らその料理長となって、次々と斬新な創意工夫の味覚を発表し世人を驚かせた。北鎌倉に星岡窯を持ち、食陶器の制作にも打ち込み個性味優れた陶磁器を世に出し、異才ぶりを遺憾なく発揮しつつ稀有の達人として、精力的に作陶と料理道の研究に没頭していったのである。
 魯山人は、このようなあく事なき研究心を通して、漆芸、金工、日本画、書と多種の芸域にわたり余人になし得ぬ非凡さを示したのであるが、殊に赤絵、金襴手、黄瀬戸、織部、備前など、その至芸ぶりは文字通り特筆に価する世界であった。以後、渡米の折には各地での魯山人展で驚異の芸術家として不動の評価を受ける。
 本作品にも見られるように、一連の作陶に見られる基調は、あくまでも中国、朝鮮の古陶磁の本質をふまえたものでありながら、尚そこには脈々と氏の新鮮な独自の芸術観が息づいており、正に「魯山人の世界」の展開であった。
 既成の概念に侵されない不撓不屈の強靭な個性と天賦の才能に裏打ちされた76年の生涯は、我が国の書、陶磁器、そして料理道の分野に貴重にして新たな一頁を開拓記録した功績そのものでもあった。 
  陶芸家。書家。京都出身。(本名)房次郎。書画、篆刻から陶芸に進み古陶を凌ぐ名作を遺した。最高なるものの真髄を見抜く眼識と、又それを見事に創り得た稀代の名匠であった。荒川豊蔵ら多くの陶人に影響を与えたが、料理道でも世に著名であった。昭和34年没76歳。

◇本頁の解説は美術公論社刊 「美術名鑑」 より抜粋させていただきました。