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美術評論家・動く美術館長 |
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川島 博による |
≪第3回≫ |
【洋画】 「婦人像」 東郷 青児 |
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氏は17歳の時、山田耕作氏の知遇を得て東京フィルハーモニィ研究所の一角にアトリエを持つ絶好の機会に恵まれたが、そこで得た新鮮な感覚と詩的豊かに育まれた情感が、その後の東郷芸術の世界に極めて大きな影響を与えていったのである。そしてまた氏は23歳から10年間パリでの生活に及ぶが、そこでの大変苦しい体験が氏に最大の活力と根性と強靭なバイタリティを与える要素となったのである。
この「婦人像」は綿密な計算によって強固に構成され、しかも氏が追求してきた詩的でロマンに満ちた密度深い芸術の香りが随所に見受けられる見事な力作である。やはりここにも音楽に裏打ちされた創造の美の世界があり素敵なリズムとハーモニィが流れ、そして氏ならではの感性が充満している。このような東郷芸術の形態を決定的たらしめたのが文豪トルストイであろう。
トルストイからの強烈なまでの感化により写実の大切さを知り、理屈に優先されず誰もが素直に共感をもつ絵画の世界へと自らの進路を位置づけたのである。そして遂に絵心の有無を問わず、すべての人に東郷作品とわからしめる程、大衆の心の中にとけこむ芸術を完成したのである。
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洋画家。文化功労者、芸術院会員、二科会会長として活躍。大正期に、すでに立体派的な作風を確立、長期にわたる滞欧時代にピカソやドランの影響を受けて見事な名作を遺した。
戦後は二科会の会長として多彩な国際的文化業績をつみ、わが国の洋画壇の興隆に尽くした。鹿児島出身。昭和53年(1978)没80歳。 |
◇本頁の解説は美術公論社刊 「美術名鑑」 より抜粋させていただきました。 |
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